正義の味方/殺人鬼の夜 外伝
   俺は鳥になる -Repeat Again-










     某月某日
     冬木市
     衛宮邸










 長いようで短かった聖杯戦争が波瀾万丈の果てに終結した、数ヶ月後。
 チュンチュンと鳥が鳴き、サンサンと太陽が微笑み、さわさわと風が歌う、そんな清々しい衛宮邸の朝。志貴が掃除機で部屋をキレイキレイして、凛は珍しくファッション雑誌を読みつつウマウマと紅茶を嗜み、アーチャーがミックミクと新曲を作成していた、そんな平和な一時に―――ソレは、現れた。
 カラカラカラン、という結界が齎す警告音。次いでバンバンバンと玄関の戸を思いっきり叩きまくる何者か。日常という皮は跡形もなく引きちぎられ、代わりに血で血を洗う非日常がニタリニタリと不気味な笑みと共に顔を出す。状況を確認して、アーチャーを先頭に玄関へ向かう三人。屋敷の結界が作動している以上、敵が来た事に間違いはない。そう、今この瞬間を以って、衛宮邸は異界と化したのだ。止める術など問うなかれ。敵が死ぬか己が死ぬか。善悪も何もなく、ただ強い者が生き残る修羅の世界を駆け抜けるべく、魔術師・遠坂凛がその名の通り凛とした表情で先制攻撃の準備を整え、スッ……と左手を玄関の戸に向けた瞬間、向こう側から聞き覚えのある女性の声が聞こえてきた。あれ? と首を傾げる凛と志貴。
 別室で七夜が目を覚ましたのは、正にそんな時だった。










   ◇ ◇ ◇










「……うるさい。何の騒ぎだ」
 頭痛に顔を顰めながら、七夜がふらふらと立ち上がる。
 同時に屋敷の結界が作動している事に気がついた。よし、殺すとしよう。即決して、敵の居る場所へ向けて移動を開始する。まるでちょっと向こうの窓閉めてくる、といった気負いの無さは、それだけ身に染みついた行動である事を示していた。そういえば最近ご無沙汰だ。鈍った腕で獲物を解体するなど七夜の辞書には存在しない。そんな不作法は認められない。有ってはならない。故に、ここらで百か二百くらい――――。
「――――む?」
 刹那、七夜は奇妙な既視感に囚われた。
 自分が訳の分からん小娘により振り回され、少なからず脈有りな娘とデートをさせられるという、それはそれは気まずく恐ろしい過去、若しくは未来。足を止め思案する。そんな経験をした覚えはない。しかし無視するにはあまりにも現実感と脱力感に溢れていた。令呪、氷室、待ち合わせ、氷室、三枝、氷室――――氷室氷室氷室、氷室鐘。
「まさか」
 コレは、あちら側に戻った「ナナヤ」の記憶……? クルクルとナイフを回して弄びながら考え込む彼の耳に、魔人の声が聞こえてきた。



「単刀直入に訊く。七夜某はどこにいる?」



 そして七夜は鳥になった。
 もとい全力で逃げ出した。亡霊ナナヤの直感経験知識の全てを引き出して更に限定解除。音もなく踵を返し、音もなく窓を開け、音もなく羽ばたいた。アサシンの気配遮断スキルをEXランクにまで引き上げる。敵が魔人なら、彼は魔鳥である。……それとも、ある意味廃人か。忍者の如く屋根から屋根へ飛び回る七夜に、その答えは出せなかった。さらば蜘蛛よ、俺は今日から鳥になる。
「な、なんと……!?」
 ぞくり、と背筋に絶対零度の悪寒。
 今度北極か南極に行ったら絶対にこう叫んでやる! ここはなんて暖かいんだ、ってな!! 心の中で罵詈雑言を機関銃の如く吐き出しながら、七夜は地に降り、影から影に縮地法で移動する。やがて衛宮志貴がいつも利用している商店街に辿り着いた。ランサーが涙目になりそうな速度で此処まで飛んできたにも関わらず、悪寒はドンドン迫って来る。自室で寝ていた筈が、何故こんなホラー映画の主人公じみた真似を。いっそ迎撃するか。今の俺なら、と七夜が考えた瞬間、彼が引き出したナナヤの知識が全力で拒絶する。

 ――――やめておけ、頼むから。

「何があった別世界の俺ッ!?」
 およそ彼らしくない悲鳴を上げながら、七夜は再び飛翔する――――が。



「つ〜か〜ま〜え〜た〜〜〜」



 次の瞬間、襟首をガッチリ掴まれ、七夜は硬直した。
「ば、莫迦な。何故俺の居場所が……」
 魔人……氷室鐘は、無言で、手に持ったレーダーらしきモノを七夜に見せた後、フフフ……と静かに微笑んだ。
「ふ、ふふふ、ははははははは!」
 ヤケクソ気味に哄笑を轟かせた七夜は、最後に言い遺した。










「……発信機は、正直どうかと思う」










   Repeat Again










「ハッ……!」
 悪夢にうなされていた七夜が勢いよく体を起こすと、そこは見慣れた自室だった。
 夢の内容は詳しく思い出せない。しかし、何か、こう、厭な予感がもっきゅもっきゅにパラダイス状態で意味不明。そんな彼の脳裏には、あるひとつの単語がベッタリとこびり付いていた。発信機。途端、七夜は体中を調べ始め、学生服の第二ボタンが発信機と化しているコトに気付いた。そういえば、と思い出す。いつぞや、ボタンが取れ掛かっているから……とか言いつつ、志貴が強引に裁縫を行なったことを。だが、奴は発信機など持ってはいない筈。となれば………………ああ、考えるだけ無駄か。玄関で騒いでいる志貴達の声を聞いた瞬間、七夜は全て理解した。
 つまるところ、コレは周到に用意された氷室鐘の計画だったのだ。



「単刀直入に訊く。七夜某はどこにいる?」



 そして七夜は鳥になった。
 発信機を捨てるべきか、否か。どうせなら撹乱に利用するべきかな。そう考えながら商店街に辿り着いた七夜は、暇そうに通りを歩いているランサーを見付けて舞い降りる。訝しそうな顔をしているランサーをビシッと指差した。
「最速のサーヴァント・ランサー! 俺は貴様にスピード勝負を申し込む!」
「……また唐突だな。どういう風の吹き回しだ?」
 七夜は答えない。汗だくの格好で、ただただ勢いのまま第一ボタンと第二ボタンを引きちぎり、そして口を開く。
「ルールはこうだ。このボタンを柳洞寺の賽銭箱へ先に投げ入れた方の勝ちとする。無論、妨害はアリだ」
 全身全霊を賭して余裕の笑みを作る。
 はやくはやく、いそげいそげ、悪寒はすぐそこまで来ているぞ………!
「ハァ? 何を言い出すかと思えば。オマエが俺に勝てる訳がないだろう」
「フフ、どうかな?」
 そう言って、七夜はアサシンのスキル気配遮断をやってみせる。
「妨害はアリだと、言った筈だが? 果たしてこの俺を捉える事が君に出来るかな?」
「……面白い。やってやるよ」
 七夜はニタリと笑いながら第二ボタンを手渡した。
「それでは、九時になったら始めるとしよう」
「わかった」
 七夜は自然体に、そしてランサーは軽く重心を落とした構えを取る。
 開始時間が来て、両者一斉にスタート。互いに間合いを取るように離れ、思い思いのルートで柳洞寺を目指す……と思い込んでいるランサーを置いて、七夜は気配を遮断したまま逆方向へ一目散に走り出す。後で何か文句を言われたら『たわけ、俺が言ったのは夜の九時だ』と言い逃れよう。古典的な手は見抜かれ易いが使い易い。先人の知恵というのも満更馬鹿にしたものではないな。それにさ、ほら、聖杯戦争ってのは、夜にやるモノだろう? 完璧たる論理武装を終えた七夜は内心ほくそ笑んだ。
 そして――――
「アン? なんだ嬢ちゃん。俺に何か用―――ぎゃあああああああああああああ!!」
「………許せ、ランサー」
 自動販売機でコーヒーを買いながら、七夜は珍しく心底申し訳なさそうに呟いた。
 そして空恐ろしいコトに、随分と遠くから聞こえる彼の断末魔に、商店街の人々は誰一人気付いた様子はなかった。飲み終わった缶コーヒーをゴミ箱に投げ入れ、さてアインツベルン城にでも避難して昼寝の続きを……と思った瞬間、再び悪寒が魔風のように此方へ急接近している事実を感知した。
「な、何故だ……!」
 既視感が次々と脳裏に甦る感覚を振り払いながら、七夜は再び飛翔する。
 店の看板から看板へ、跳弾する弾丸の如くジグザグにガンガン跳ね進み、危うく時を駆けそうな程に高く舞い上がった。後に残されたのは、原因不明の粉々になった看板と、それを呆然と見詰める冬木の人々のみ。だが、それほどの奇蹟を以ってしても悪寒を振り切る事は叶わず……。



「はっはっは。どこへ行こうというのかね?」



 次の瞬間、襟首をガッチリ掴まれ、七夜は硬直した。
「ば、莫迦な。何故俺の居場所が……」
 既視感が現実に昇華された瞬間だった。
 魔人……氷室鐘は、無言で、手に持ったノートパソコンらしきモノを七夜に見せた後、フフフ……と静かに微笑んだ。
「知ってるかい? 現代の町には、防犯用にあちこちにカメラが仕掛けられてるのさ」
「ふ、ふふふ、ははははははは!」
 ヤケクソ気味に哄笑を轟かせた七夜は、最後に言い遺した。










「……ム○カとかハッキングとか、正直どうかと思う」










   Repeat Again










「ハッ……!」
 悪夢にうなされていた七夜が勢いよく体を起こすと、そこは見慣れた自室だった。
 夢の内容は詳しく思い出せない。しかし、何か、こう、厭な予感がもっぎゅもっぎゅにカーニバル状態で解析不明。そんな彼の脳裏には、あるひとつの言葉がベッタリとこびり付いていた。発信機とハッキングに注意せよ。制服の第二ボタンが発信機と化している事実に気付き、さてどうしたものかと一人思案する。何故、と問われれば困るのだが、ただ闇雲に逃げ回っても無駄だという確信が七夜にはあった。
 もういっそ三枝に付き合ってやるかと思わないでもない七夜だったが、それでは根本的な解決になっていない。その昔、七夜が「遠野志貴」と呼ばれていた頃「ひぐらしのなく頃に」という小説を読んだ事がある。なるほど、これは確かに心が折れそうになるな、としばらく現実逃避を満喫して、スッ、と七夜は音もなく立ち上がった。策は未だ閃いていない。この際、一度全力で殺してみるか。七夜は考える。そうだ……そもそも尻尾を巻いて逃げるなど、この俺の性には合わん。まったく、なんて無様だ。よし、そうと決まったら早速殺すとしよう。
 ひとつ頷いて、彼が静かに殺気を滲ませた、正にその瞬間――――



「単刀直入に訊く。七夜某はどこにいる?」



 そして七夜は鳥になった。
 地位も。名誉も。誇りさえ捨てて、ただひたすらに走らなければならない時があるのさ。言い訳の論理武装も完了したところで、七夜は一際大きく飛び上がり、再び魔鳥として冬木市に君臨した。ミサイルのようにギュンギュン跳ね、鳥のように両腕を羽ばたかせながら空を飛んで辿り着いたのは商店街。はて、何故俺は事ある毎に此処へ逃げ込むのだろうか。不思議に思った七夜だったが今はとにかく逃走あるのみ。途中で会ったランサーを騙して発信機を押し付け、さてどうしようと改めて思案する。この際、適当な女を捕まえて「俺、この娘と結婚するんだ」とか言ってみようか。
 そうだ、そもそも相手がいれば何も問題はないのだ。七夜は苦々しい顔で頷いた。
「――――遺憾だが、それしかない」
 と、そこにタイミング良く買い物袋を提げた間桐桜の姿が。
「間桐桜」
 早速呼び掛ける七夜。もうとっくに正気じゃない。
「え? 先輩……じゃなくて、七夜さん?」
「そうだ、君に頼みがある。いいかな?」
 背筋の悪寒がますます強くなっているコトを感じた七夜は、全身全霊でにっこりと微笑んだ。
「はい、私でよろしければ。それで、何でしょうか」
「結婚しよう」
「………………………………………………はい?」
 ピタリ、と……間桐桜の時間が停止した。
「タダでとは言わん。あとでケーキをおごるから」
「え、あ、ちょ、待、えぇぇぇぇぇぇぇ!!??」
 どこからともなく『奴』の薄気味悪い笑い声がユラ〜リユラリと迫ってくる。
 七夜は必死になった。なので、真正面から桜と目を合わせ、もう逃がさないとばかりに両肩をガッシリと両手で掴んだ。客観的に二人の体勢を観察してみると、キスの五秒前に見えなくもない。どよっ! と周囲がざわめいた気がしたが七夜は無視した。地位も。名誉も。誇りさえ捨てて、ただひたすらに走らなければならない時があるのさ。
「別に知らない仲じゃない。君の中を何度も突いてやったコト、もう忘れたのか?」
 ちなみに此処は商店街のド真ん中である。
「な、ななななな、何を言ってるんですか!? 変な言い方しないでください! アレは私の中に残った蟲を全部駆除する為にナイフで―――」
 免疫がない故か、顔をまっかっかにして面白いくらいにうろたえる桜。
 あわあわと桜が周りを見てみれば、穂群原学園の生徒達数名がジーッとこちらを見ている。当然だ。何しろ外見はどこからどう見ても衛宮志貴なのだ。あの人だれー? 二年の衛宮くんじゃなかった? でも、なんか雰囲気違くない? 突いてってやっぱりそういう意味? いいなー間桐さん、私もいつかあんな風に……。噂通り深い関係みたいね〜……とかなんとか、この手の話題が三度の飯より大好きな女生徒達は特に大盛り上がりだった。
 しかし、肝心の七夜はそれどころではない。悪寒の主はもはや目と鼻の先なのだ。七夜は神妙な雰囲気で、必死になって真顔を作り、そして言った。
「頼むよ、君じゃないとダメなんだ」
「そ、そんな……私、その……突然そんなこと言われても……私には先輩っていう心に決めた人が……あ、でも七夜さんが決してキライって訳じゃなくてですね、寧ろこれはこれでワイルドな先輩って感じがしてステキっていいますか、ぁぅぅでも、その……」
 時間がなく余裕がなく希望もなく、ただ悪寒のみが全身を支配する中、痺れを切らした七夜が更にぐぐっと顔を近づけた瞬間。
「桜に手を出す事は許しません」
 気が付けば、彼は石になっていた。
 おのれライダー! 七夜は動かない口で叫んだ。当然、それは音にならず、二人には伝わらない。そして次の瞬間、襟首をガッチリ掴まれ、七夜は硬直した。振り返る事は出来ず、またしたくもなかったが、それ故に、誰に捕まったのかを彼は石になったままハッキリと理解した。
 念の為繰り返すが、此処は商店街のド真ん中である。
「(――――――――――――)」
「おはようございます。コレは私が引き取っても?」
「ええ、構いません。煮るなり焼くなり、どうぞお好きに」
 魔人……氷室鐘は、無言で、手に持ったビデオカメラらしきモノを七夜に見せた後、フフフ……と静かに微笑んだ。その画面には、先程の、七夜が桜に告白している(ように見える)シーンが余すところなく録画されていた。
「(終わった……)」
 七夜はいっそ成仏してしまいたいと初めて心から思った。
「さ、いこうか?」
「(―――――――)」
 喋れない七夜に構わず、氷室は石化した彼をヒョイッと担ぎ、スタスタと何処かへ向けて歩いていく。
「(――――――――――――)」
 ヤケクソになって笑う事も出来ず、七夜はただ自らを待ち受ける運命に身を委ねるしかなく、言い遺す言葉さえ世界には届かなかった。










「だからその、まずはお友達から、といいますか。あっ、これって別に遠回しに断ってるってわけじゃなくって! やっぱり、結婚って一生の問題だからまずはお互いのことをもっとよく知ってからの方がいいかなって思うんです。ですから――――――」




















   Repeat Again






















解決編につづく…………日はきっと来ない。



inserted by FC2 system